1972年、総理官邸の地下では、まったく別の未来が封筒に入れられていた。
「次世代抑止力基礎研究」
核ではない。核という言葉を使わない。だが核を上回る。国家がその存在を否定しながら、その影だけで敵を沈黙させる力。後に「反物質兵器」と呼ばれる構想は、その日から地下を流れ始めた。
田代試験場の計画書には、いつも美しい単語が並んでいた。地方雇用、宇宙産業、極低温材料、災害観測、安全保障。美しい単語は、単独では嘘をつかない。だが並べ方によっては、人間の目を逸らす壁になる。大館能代空港の開設は、地域の誇りであり、同時に特殊貨物を夜間に運ぶための便利な動脈にもなった。誰もその二つを同時に見ようとしなかった。見なければ、知らなかったと言えるからである。
田代の周辺に住む人々にとって、試験場は山の向こうにある大きな会社でしかなかった。冬になれば除雪車が通り、春になれば若い作業員が食堂に来る。祭りの日には協賛金が出て、小学校の体育館には八洲重工業の名前が入った横断幕が掛かった。人々は感謝し、少しだけ畏れ、深くは尋ねなかった。尋ねないことで暮らしが守られるなら、地方ではそれも生活の知恵になる。
だが、尋ねられなかった問いは消えない。誰かの父が夜勤へ向かう理由、空港に深夜着く貨物の中身、森の奥で時折聞こえる低い振動。答えのないものは、やがて噂になり、噂はさらに年月を経ると風景へ溶ける。田代という密室は、鉄とコンクリートでできていたのではない。地方振興という感謝と、生活を壊したくないという沈黙でできていた。
1976年、秋田県大館市田代地区の山あいに、八洲(やしま)重工業の田代試験場が開設された。表向きはロケットエンジンの実験施設と極低温材料と宇宙関連機器の研究施設である。八洲重工業の森山斉昭専務は、地方振興、宇宙産業、先端材料、国家安全保障を一つの予算線で結び、田代試験場を守った。1993年12月に白神山地が世界遺産へ登録され、1998年7月に大館能代空港が開設されると、田代計画は「自然保護」「地域振興」「先端研究」の三つの名目に包まれて、さらに見えにくくなった。
父がまだ田代に通っていた1990年代前半、少年時代の雄太は、父・三村雄三が持ち帰る匂いを覚えていた。金属と消毒液、雪に濡れた作業服、そして、ときどき焦げた石のような匂い。父は寡黙だったが、剣道の試合の日だけは必ず会場に来た。雄太が面を取ると、雄三は勝敗よりも足さばきを褒めた。
「前へ出るのはいい。だが、下がる足も覚えろ」
その言葉の意味を、雄太は大人になってから別の形で思い知る。技術者にも、前へ進める手と、戻す手が必要だった。
雄太はその言葉を、長いあいだ武道の助言だと思っていた。父が本当に言いたかったのは、もっと危険なことだったのかもしれない。研究者も技術者も、前に進むことを褒められて育つ。新しい素材、新しい推進系、新しい制御理論。だが、いったん進めたものを戻す勇気は、成果として評価されない。父はそれを知っていた。知っていながら、自分自身は戻れなかった。
慎一と三村雄太が初めて出会ったのは、無機質な実験区画ではなく、板張りの試合場だった。1994年夏、秋田県中学校総合体育大会の剣道会場である。慎一は中学2年、雄太は中学3年だった。面の奥の目だけが見える。小柄な慎一は、相手が打ち込む瞬間にだけ一歩深く入った。雄太はその癖を覚えた。勝ったのは雄太だったが、試合後に竹刀を下げた慎一の目には、負けた少年の悔しさより、何かを測る静けさがあった。
慎一の剣道は、雄太と違って静かだった。打ち込む前に相手の呼吸を聞き、竹刀の先ではなく、床板を踏む足の重さを読む。彼は勝つために前へ出るのではなく、相手が自分の中へ入ってくる瞬間を待った。雄太はそれを嫌い、同時に惹かれた。試合後、二人が更衣室の隅で防具を片づけるとき、慎一はぼそりと言った。
「三村さんの面は、音が先に来ますね」
雄太は笑い、
「お前の籠手は、見えない」
と返した。
1997年の東北高校大会で、2人はもう一度当たった。慎一は高校2年、雄太は高校3年。試合は延長の末に引き分け再試合となり、最後は慎一の出籠手が決まった。面を外した雄太は笑った。
「お前、昔より怖くなったな」
慎一は汗で濡れた髪をかき上げ、
「三村さんこそ、まっすぐ来すぎです」
と答えた。2人はそこで初めて互いの名をはっきり覚えた。後に田代で再会したとき、無彩色の防護服の下にも、互いの構えが残っていた。
1981年2月17日に生まれた慎一は、母・深山道子から男鹿の血を受け継いだ。1980年1月12日に生まれた雄太は、反物質兵器構想の初期技官・三村雄三の息子だった。慎一は『鍵』として分類され、雄太は『作る側』の家系として育った。2人の友情は、その時点で最初から罠を含んでいた。
慎一が慶應義塾大学院から八洲重工業へ進む直前の頃、深山道子は、息子が八洲重工業へ近づくことを最後まで喜ばなかった。彼女は理由を語らない。ただ、慎一が秋田を離れて進学する朝、古い木箱から小さな布包みを出し、
「山の音を聞きすぎるな」
と言った。包みの中には、黒ずんだ金属片が入っていた。何の説明もない。それでも慎一は、その金属片を捨てられなかった。後に田代試験場で初めて外殻材に触れたとき、布包みの重さが胸ポケットの中で熱を持つように感じられることになる。
大学へ進んだ慎一は、剣道から少し離れた。離れたつもりでいても、実験室で装置の異音を聞く姿勢や、議論の間合いを測る癖には、道場で覚えた呼吸が残った。研究者として極低温材料と量子制御の分野へ入り、八洲重工業の共同研究に名を連ねるようになると、彼は自分がいつのまにか田代の影へ近づいていることに気づいた。
八洲重工業の若い慎一は、入社直後から妙な扱いを受けた。成績だけなら、彼より優秀な者はいくらでもいた。だが彼だけが、時々会議の後で別室へ呼ばれ、公開されていない資料を読まされた。上司は『適性』と言った。慎一はその言葉の裏に、選別の匂いを嗅いだ。
試験場の廊下で偶然すれ違った雄太は、そんな彼に声をかけた。
「深山か。県大会以来だな」
その一言で、慎一は少し救われた。研究施設の中で、唯一自分を資料番号ではなく、竹刀を交えた相手として覚えている男がいたからだ。
その記憶が、後年の淡い灰色の研究服の下で何度も蘇った。会議で慎一が黙ると、雄太は彼が何かを読んでいるのだとわかった。数式ではない。場の圧、言葉の間合い、誰が恐れていて誰が恐れていないか。雄太は技術者として装置を見た。慎一は、装置の周囲に立つ人間を見た。二人が違うものを見ていたからこそ、田代計画の奥へ進むにつれ、互いを必要とするようになった。
雄太にとっても、慎一との再会は厄介な救いだった。父の職場で働くことは、父を理解することだと思っていた。だが田代試験場に入るほど、父が何を隠していたのかわからなくなる。そんなとき、慎一の静かな目は、過去の武道場からまっすぐ現在へ届いてきた。あの頃、二人は勝敗だけを気にしていればよかった。面を打つか、籠手を取るか。大人になった今は、どの言葉が誰を殺すのか、どの沈黙が何を守るのかまで考えなければならない。雄太はその重さを笑い飛ばすことができず、慎一もまた、その笑えなさを理解していた。



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